ペ:こんにちは。ペンギン先生です。 コ:コシロです。 ペ:今回は「全身麻酔でボケる、というのは本当か?」というテーマで講義をしていきたいと思います。 コ:何で今回はこのテーマなの? ペ:以前から、術前外来をやっている時に、患者さんから「よくわからないけど、全部お任せします」という返事が結構多かったんだ。なので、動画にしたら分かりやすいんじゃないかと、最近は術前外来で麻酔の流れやリスクを説明するための動画を作っていたんだ。でも、そもそも麻酔のリスクなんて、麻酔科の専門医でも把握しきれないくらい大量にあるんだ。 コ:それはそうだよね。 ペ:「リスクについてわかってもらうため」と、何千種類かの合併症をすべて言われても、無駄に怖いだけだし、当然理解することもできない。だから、ある程度取捨選択をして、可能性の高いものや、危険性の高いものだけをピックアップして説明するわけだ。その中でお蔵入りしたものを、紹介していこう、というわけだね。 コ:じゃあ、医療関係者ではない人でもわかるような感じにしようってことなのかな? ペ:そうだね。雑談風な感じで話していこうと思いますので、視聴者の方も、軽い気持ちで見ていただけたらと思います。 ペ:さて、今回の動画を投稿するきっかけはもう一つあって、最近、旧Twitter、今のX上で、全身麻酔下の美容整形を繰り返している人が「スーパーでお釣りの計算もできないし論理的思考完全に破綻した」と呟くと、麻酔専門医を名乗る人が「それ低酸素血症の後遺症や」と断定した、ということがあった。せっかくなので、こちらの話も今回の話題の軸にしてみよう。 コ:低酸素血症って、血液中の酸素濃度が下がるってことだよね。 ペ:そう、酸素が不足したときにダメージを受けやすい組織の代表が、脳だ。なので、低酸素血症からくる脳の障害を、低酸素脳症と言ったりする。インターネット上にも挙がっていたけど、ファーストガンダムの主人公、アムロレイの父親、テムレイが低酸素脳症になったことが有名だね。 コ:ガンダムとか知っているんだ? ペ:これでも高校生の時は、ガンダム研究会とかいう同好会の幹部をしていたことがある。まあ、学園祭の時にしか存在しない小さな組織だったけれども。 コ:まあ、それは置いておいて、今回の件は、その低酸素脳症が怪しいということかな。 ペ:結論から言うと、私は美容クリニックで行う全身麻酔を見たことが無いので、そういう業界のことはわからない。なので、完全に否定はできないものの、断定はできないんじゃないか、と思っている。というのも、全身麻酔を受けた後、その内容に問題が無くても、後でボケる可能性が指摘されているからだ。 コ:そうなの!? ペ:まずは低酸素脳症について話そう。低酸素脳症とは、先ほど言ったように、低酸素血症によって、脳に十分酸素が行き渡らなくなる病気だ。低酸素脳症自体は、例えば高い山の上に登ったりとかでもあり得るし、換気の悪い環境で作業していると酸素濃度が低い環境に遭遇することがあるため、どちらかというとその分野で知見が多い。 コ:下水道や洞窟に入る時は、酸素濃度や有毒ガスの濃度を測定するっていうよね。 ペ:そう、酸素濃度の変化によって、さまざまな症状が出る。厚生労働省によると、図のような感じで、酸素濃度が低下すると、だんだんと脳の機能が低下してきて、最終的には死に至る可能性がある。 コ:酸素濃度が8%に下がるまでは大丈夫ってことかな? ペ:この辺りはどこまで大丈夫か、というのは非常に難しいところだ。当然、ヒトに対してどの程度の低酸素で脳細胞がやられるか、なんて実験ができるわけがないし、確かめようがない。なので、あくまで目安程度だけど、航空医学研究センターが出しているデータを紹介しよう。動脈中の酸素分圧と失神時間の関係を示したものだ。 コ:意識を保てるっていうことは、脳に十分酸素が行き渡っている、と考えていいのかな? ペ:そう考えていいだろう。逆に、意識を失うレベルになるなら、脳に十分な酸素が行き渡っていない可能性がある。例えば、動脈の酸素分圧が大体50トール以上なら意識を保てるが、それを切ると1時間以内に意識を失うようだね。酸素分圧が50トールというと、指につける酸素モニターで、大体SpO2が85%程度になる。安全域を考えると、90%未満だと危ない、という感じかな。 ペ:航空医学研究センターが出している図を、指につける酸素モニターの値に換算すると、図のような感じになる。ケタミンや笑気などの例外を除き、麻酔中は脳の代謝が20~50%程度低下するので、厳密にはもっと長時間もつかもしれないが、この範囲なら脳の障害が起きにくいのではないか、と予想している。ただ、強調するけど、個人差も大きいし、この値を切ると脳細胞がやられる根拠も不十分なので、あくまで目安だけどね。 コ:十分な根拠が無いとはいえ、それを参考にするしかないなら仕方ないね。 ペ:さて、例えば麻酔科医が麻酔管理をする場合には、一般的な成人の場合、大体SpO2が90台後半となるように管理している人が多いと思う。なので、低酸素による脳障害は、普通起きない。ただ、もしSpO2が90%を切っても大丈夫と、何時間も放置しているクリニックがあるなら、低酸素脳症は起こってもおかしくない、ということになる。しかも、鎮痛のために笑気まで使っていたら、脳の代謝が上がって、酸素消費が増えるため、さらにリスクが高くなる。 コ:そんな、酸素が不十分な状態で管理するクリニックなんて、あるのかなあ。 ペ:わからないけど、もしそんなクリニックがあるなら、麻酔をすべきではないと思う。まあ、一応補足しておくと、新生児や乳児の先天性心疾患の場合SpO2が70%台でも管理されていることはあるけど、それは生まれてからの長期間の適応があるからであって、一般の人には当てはまらない。 コ:そういったことも含めて、どれくらい低酸素状態に強いかが決まるんだね。 ペ:さて、では実際低酸素脳症ではどのような症状が出るのかについて話そう。とはいっても、麻酔によって生じた低酸素脳症というのは非常に稀でデータが無いので、蘇生後脳症の話で代用することになる。 コ:蘇生後脳症って? ペ:蘇生後脳症とは、何らかの理由で心臓が止まった後に、心肺蘇生法などで蘇生された後、脳に障害が生じることだ。 コ:心臓が止まると、当然脳に酸素が行かなくなるから、脳に障害が生じるってことだね。 ペ:早く対応すれば、全く生じないことも珍しくないけどね。心臓が止まっていた時間や、その後の低体温療法などの治療の有無で、重症度は変わってくるわけだけど、American Heart Association(AHA)によると、このような症状が挙げられている。 コ:注意力、集中力、記憶力、計画性とか、確かに計算力が落ちそうな項目が並んでいるね。 ペ:症状について、2004年に神奈川リハビリテーション病院の岡本隆嗣医師がリハビリテーション医学という雑誌に投稿した14例のデータによると、このようになっている。運動系の障害も挙げられているが、やはり集中力や認知能力などに関する項目も重症患者で大きく低下していることがわかる。具体的に計算力について述べているデータは見つけられなかったけど、これらを見る限り、計算力が低下してもおかしくはないだろうね。 コ:計算って、記憶や集中力が重要そうだもんね。 ペ:記憶に強い影響を与えている海馬や、思考などの高度な機能をつかさどる大脳皮質はエネルギーの消費が激しい分、低酸素に弱いからね。そういったところからも辻褄は合うね。 コ:じゃあ、「計算や論理的思考ができなくなった」っていうのは「低酸素脳症の後遺症だ」と言っていいのかな? ペ:それはわからない。虫垂炎で腹痛が起きるからと言って、腹痛を診て「虫垂炎だ」と診断を下すのは、プロフェッショナルのやることではないよね。 コ:他にはどんな可能性があるの? ペ:ここで、今回のテーマだ。 コ:全身麻酔でボケる、というのは本当か?というやつだね。本当なの? ペ:これについては順序だてて説明していこう。まず、手術が終わった後に、たとえ全身麻酔の内容に問題が無かったとしても、脳の異常が出ることがあるのが知られている。すなわち、術後認知機能障害と、術後せん妄の2つが有名だ。 コ:せん妄は聞いたことがあるけど、具体的には良く知らないや。どんなものなのかな? ペ:せん妄とは、「何らかの原因で、急に出てきた意識・注意・知覚の障害で、症状が短期間に変動することが特徴だ」。診断基準としては、DSM-5を用いる。 コ:Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th Edition。つまり、精神疾患の診断と統計マニュアル 第5版ってところかな。もっとシンプルに「精神疾患マニュアル第5版によると」って言えばいいのに。 ペ:まあ、そうだね。せん妄は、精神疾患マニュアル第5版を用いて診断する。そこの記載内容はこの通りだ。 コ:項目だけ出されてもよくわからないなあ。 ペ:つまりは、薬物などの何らかの原因で、注意力がなくなった上、意識も混濁しているし、自分の今の状況もわからなくなって、記憶や発言に混乱が出たり、幻覚が見えたりすることだね。しかも、短期間で大きく症状が変わることが特徴だ。 コ:つまり、せん妄は何かの原因で、一時的な精神の異常をきたす、ということなのかな。 ペ:そう、そして術後せん妄の場合、原因ははっきりしているね。 コ:手術と全身麻酔というわけだね。 ペ:そう、手術と全身麻酔の刺激によって、意識・注意・知覚の障害が出るというわけだ。長くて1週間程度続くとされている。 コ:1週間なんだ?じゃあ、それ以降は元に戻るんだね。それなら安心かな。 ペ:ところが、1998年にコペンハーゲン大学病院からJT Moller医師によって、Lancetに一つの論文が投稿され、大きな話題となった。Long-term postoperative cognitive dysfunction in the elderly: ISPOCD1 studyというタイトルの論文で、60歳以上の患者が全身麻酔を受けた場合、長期的な認知機能の低下が認められる可能性があるというものだ。 コ:60歳以上だけなの? ペ:この論文で検証されていたのは60歳以上だけだね。若者については、2008年、Anesthesiologyという麻酔科の有名な雑誌に、Predictors of Cognitive Dysfunction after Major Noncardiac Surgeryという論文が投稿された。アメリカで行われた調査で、若者、中年、高齢者の3つの群に分けて、手術前から認知機能を確認しておき、手術が終わってから1週間後、3か月後の患者の認知機能を確認したところ、1週間後では年齢にかかわらず3-4割の患者に認知機能の低下が認められ、3か月後では若者でも5.7%の若者で、高齢者では12.7%に認知機能の低下が認められた、というものだね。 コ:5%っていうと、かなり珍しいのかな? ペ:いや、5%となると通常は、かなり高いと考える。20人に1人生じることとなると決して珍しいことではないからだ。つまりこの論文によると、全身麻酔下の手術を受けた患者において、手術直後には年齢にかかわらず認知機能の低下が生じるし、たとえ若者であっても、決して珍しくない頻度で、長期的な術後の認知機能の低下を生じるという、衝撃的な結果が出たわけだ。 コ:つまり、全身麻酔でボケるっていうのは本当なの? ペ:それを確認するために、次回、論文をしっかりと読み進めてみよう。 コ:え?次回? ペ:あまり長くなると、見ていてしんどいからね。基本的に1回の動画は長くて15分程度と決めているんだ。 コ:そうだねえ、説明を入れているとはいえ、専門的な内容も多くなるし、仕方ないかな ペ:それでは、今回の講義はここで終了とします。さて、全身麻酔を受けると本当にボケるのでしょうか?気になりますよね。ぜひ次回の動画もみてみましょう。 コ:そんなにあおる必要ないよね? ペ:すいません、調子に乗りました。 コ:でも、結局はっきりしないんだね。 ペ:そうだね。だからこそ、「全身麻酔でボケるのか?」という疑問に対しては、今後さらに研究を進めていく必要がある分野だと思うよ。実際、高齢者の手術後認知障害は世界的に問題になっていて、POCD(Postoperative Cognitive Dysfunction)という名称で数多くの研究が行われている。 コ:POCDって言うんだ? ペ:うん、術後認知機能障害のことを英語で表すとPOCDになるね。特に、高齢者ではこれが一時的なものではなく、長期的な認知症のリスク因子になるかもしれないということも示唆されていて、無視できない問題になっている。 コ:なるほど。それで、「麻酔でボケたんじゃないか」って心配になる人もいるってことだね。 ペ:そうなんだ。もちろん、必ずしも麻酔が直接の原因であるとは限らないし、手術や入院そのもののストレス、炎症反応、睡眠障害、痛みなど、いろいろな要素が絡み合って影響していると思われるけどね。 コ:一つの要因じゃなくて、いろんな要素が積み重なって起きている可能性があるんだね。 ペ:その通り。そして、術後の認知機能を守るために、麻酔科医として何ができるかを考えることが、これからの重要なテーマなんだ。 コ:今後、どういう方向に進んでいくのかな? ペ:例えば、モニターを使って麻酔の深さを適切にコントロールすることや、術後の環境を整えて混乱を防ぐような工夫、炎症を抑えるような麻酔薬の選択などが検討されているね。 コ:いろいろな工夫で、リスクを減らしていくわけだね。 ペ:うん、だから「全身麻酔でボケる」という表現だけが一人歩きしてしまうと、不要な不安を与えてしまうこともあるから、こうして正確な知識を持ってもらうことがとても大事なんだ。 コ:なるほど、理解できました! ペ:というわけで、次回の動画では実際に先ほどの論文を細かく見て、どんな患者にリスクがありそうなのか、どういう手術や麻酔法が影響しているのかを掘り下げていきましょう。 コ:それは楽しみだね! ペ:それでは、今回の講義はここで終了です。全身麻酔と認知機能に興味のある方は、ぜひチャンネル登録と高評価をお願いします。 コ:またね~ |